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家庭単位の交流の必要性
北海道平和大使協議会議長 谷口 博
国際交流は、我が国のように資源の少ない国にとって重要な課題と言われているが、通常は個人あるいは組織を主として行う場合が多いようである。しかし、学術を目的とする国際交流であっても、家庭を中心とすることにより、意外な展開のあることを述べておきたい。
私自身の海外との接触は、1950 年頃の台湾への機器の輸出における出張が初めてであり、国交のない台湾への旅行は香港経由であった。業務打ち合わせに休憩が入ると、担当者同士の家庭のことを話題にすれば、和気あいあいとした雰囲気になることを知った。
大学に戻り、主として米国の大学教授と我が国での国際会議で会う機会を得たが、夫婦同伴の方々もおられたので、自宅に招いて家庭同士の交流をすると、学術面での本音も伺えたのである。例えば、カリフォルニア大学ギート教授夫妻、ミシガン大学ヤン教授夫妻など、後日には Visiting Professor (客員教授)としてお世話になる縁も繋ぐことができ、論文の共著者あるいは英文著書の共著者にまで発展することとなった。
1980 年代から、大学での海外留学生の受け入れが増え、中国から第二次大戦後の最初の留学生を受け入れたが、単身赴任の企業幹部であったので、学術指導の合間に家庭の様子を聞くことにより、学術交流から国際交流への端緒を開くことにした。その後、その留学生は工学博士の学位を北海道大学あるいは西安交通大学から取得し、現在も家族ぐるみの交流を続けている。
一方、大学での留学生の受け入れで心掛けることは、例えば宗教への理解であり、イスラム圏のイラン、エジプト、インドネシアなどの留学生への配慮が必要なのである。すなわち、食物制限や礼拝場所への対応がなければ留学生活を続けられないので、必要に応じて自宅に招くことも考え、本音を聞いておくなどの工夫が望まれよう。
国際交流における宗教の大切さは、家庭を通じての交流によって知ることができ、例えばソビエト時代にモスクワ在住の学術雑誌の編集者と会う機会があり、自宅に招いて意外な事情を知ることができた。すなわち、我が家の仏壇を見て編集者の故郷の自宅にもギリシャ正教のキャビネットがあることを告げられ、共産党時代でも宗教は存続していることを教えられたのである。
また、中国からの留学生の帰国後に、勤務先の鞍山製鉄所を訪れる機会があったが、家内と一緒にその夫婦が帰依している仏教の寺院と墓地に案内していただき、宗教の大切さと家庭を中心とする生活の一端を知ることができた。
狭い自己の経験からではあるが、個人あるいは組織による国際交流を補いながら、さらに交流の場を広げるために、家庭の役割を大切にしては如何かと思う。また、当然のことであるが、諸外国の状況を考慮するならば、宗教への理解なくしては留学生への対応もできないので、学術交流に限らず国際交流における宗教の大切さを検討しておきたい。
従って、家庭を大切にして宗教に理解をもつことが、世界平和を目的とする国際交流の基本であると思うので、多くの方々からの賛同が得られれば幸いである。
(Monthly News Letter「ファミリー・プロミス」より)
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国民運動の概要
summary
ファミリー・プロミスとは
family promise
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チャレンジ宣言
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オピニオンリスト
小中学校の教育の充実を願う
子供が真似たいと思う“重み”ある親として
三つの「わ」のある家庭
家庭は社会をまとめる“扇の要”
家庭単位の交流の必要性
「知足」の人は聖なり
味噌づくりで確かめ合う三世代の絆
家族再生運動によせて
危機と好機
為に生きる心の根っこは家庭にある
「常有是好夢」
2012年を日本再生の年としていきましょう
児童教育私考
家庭教育は親子が共に育つ「共育」です
家庭は心の安まる「しあわせな居場所」
家族三代の支え合いで見いだした芸術の本質
家庭づくりは「感性育て」から
「茶の間」からの教育再生
「家族国家」日本の姿を取り戻そう
私自身の海外との接触は、1950 年頃の台湾への機器の輸出における出張が初めてであり、国交のない台湾への旅行は香港経由であった。業務打ち合わせに休憩が入ると、担当者同士の家庭のことを話題にすれば、和気あいあいとした雰囲気になることを知った。
大学に戻り、主として米国の大学教授と我が国での国際会議で会う機会を得たが、夫婦同伴の方々もおられたので、自宅に招いて家庭同士の交流をすると、学術面での本音も伺えたのである。例えば、カリフォルニア大学ギート教授夫妻、ミシガン大学ヤン教授夫妻など、後日には Visiting Professor (客員教授)としてお世話になる縁も繋ぐことができ、論文の共著者あるいは英文著書の共著者にまで発展することとなった。
1980 年代から、大学での海外留学生の受け入れが増え、中国から第二次大戦後の最初の留学生を受け入れたが、単身赴任の企業幹部であったので、学術指導の合間に家庭の様子を聞くことにより、学術交流から国際交流への端緒を開くことにした。その後、その留学生は工学博士の学位を北海道大学あるいは西安交通大学から取得し、現在も家族ぐるみの交流を続けている。
一方、大学での留学生の受け入れで心掛けることは、例えば宗教への理解であり、イスラム圏のイラン、エジプト、インドネシアなどの留学生への配慮が必要なのである。すなわち、食物制限や礼拝場所への対応がなければ留学生活を続けられないので、必要に応じて自宅に招くことも考え、本音を聞いておくなどの工夫が望まれよう。
国際交流における宗教の大切さは、家庭を通じての交流によって知ることができ、例えばソビエト時代にモスクワ在住の学術雑誌の編集者と会う機会があり、自宅に招いて意外な事情を知ることができた。すなわち、我が家の仏壇を見て編集者の故郷の自宅にもギリシャ正教のキャビネットがあることを告げられ、共産党時代でも宗教は存続していることを教えられたのである。
また、中国からの留学生の帰国後に、勤務先の鞍山製鉄所を訪れる機会があったが、家内と一緒にその夫婦が帰依している仏教の寺院と墓地に案内していただき、宗教の大切さと家庭を中心とする生活の一端を知ることができた。
狭い自己の経験からではあるが、個人あるいは組織による国際交流を補いながら、さらに交流の場を広げるために、家庭の役割を大切にしては如何かと思う。また、当然のことであるが、諸外国の状況を考慮するならば、宗教への理解なくしては留学生への対応もできないので、学術交流に限らず国際交流における宗教の大切さを検討しておきたい。
従って、家庭を大切にして宗教に理解をもつことが、世界平和を目的とする国際交流の基本であると思うので、多くの方々からの賛同が得られれば幸いである。
(Monthly News Letter「ファミリー・プロミス」より)